旅先のキモノ姿あれこれ
旅先でも和服を着るのが好きだ。
特にレトロ感のある場所や古い町並みでは溶け込んだ感覚になれていい。
荷物が重く嵩張る苦労があるけれど、レンタルはどうしてもしたくない。
特に京都。とにかく京都。
(私は京都が嫌いとかではありません、むしろ好きです。念のため。)
和服に親しんでいる大勢が思っているはず、なんであんなに野暮ったくさせるんだろう、と。
おそらく「この人たちは本物の京女ではありませんよ」と高らかに知らせるためにダサい仕上げにしてるんだろう・・・そうそう、そういえば『舞妓さん・芸妓さんに変身!』的なサービスをするお店も、外を歩くときは「本物ではありません」「観光舞妓です」とついてまわって説明したり看板を持ったり、という話が昔はあったけれど、今はもうないかな?
とにかく、安っぽい長着に半幅帯の変わり結び(凝っているようで着付ける側にとっては簡単)で、見た瞬間に観光客が着せてもらってま~す、と分かり、ともすると日本の人でさえないかもしれない、このあからさまな「よそサマ感」。
でも、着てる人の表情を見たら考え方が変わった。
和服を普段気ない人はこういう着物が好きなのかもしれない。
にぎやかな柄の着物にお花みたいな可愛い半幅帯、いかにもな髪飾り。
外国の友達も半数は「華やかな柄がいい!」となるし、小粋な古典柄に衣紋を抜いてお太鼓を好むのはなかなか通好みの時代劇好きとか黒澤映画ファンとかで、たいていは半幅帯を「でっかいリボンみたいにして!」と言うし。
そんなこんなで、着せてもらってる人がとにかく嬉しそうなのだから、それをとやかく言うのは良くないな、と思うに至った。もちろん、着せつけられた人がレンタル屋さんから出てきたとたんに着物の背面やお尻にシミがあったときは、良心的でない店があることを思い知ったけれど。
着てる人がハッピーならそれでよし。ただ、私はどんなに重くても持参しよう。
たいした着姿でなくても、「自分が納得できている」ことが大事なのは皆共通だと再確認したから。つまりハッピーになれるものを着たいからこそ持参する、ということ。
ただ、ハッピーな着物時間はそれでよいとして、和服を着れば美人度2割増しとか色気が出るというのは大きな勘違いで、やっぱりすれ違う時にウットリと見惚れるような着物姿として一番ステキなのは、「着慣れている」感なんだなぁ。年を重ねた女性の着物姿に注目してしまうのは断然そのせいだろう。
高価な着物や素晴らしいお太鼓の柄より、
美形な顔立ちやピシッとキマッた着付けより、
当たり前のように着物に慣れている感じが伝わってくるのが一番魅力的。
(↑何を着ても艶っぽい藤間紫さん。知性と心の余裕からくる色気。)
(↑可憐な若尾文子さん、和服好きのミューズ。後ろでてきぱき働く女性の姿も素敵。)
(写真の映画は【東京おにぎり娘】川口浩さん、ジェリー藤尾さんもチャーミング)
以上、旅先で見る着物姿にについて考えて感じたあれこれ。